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 コラム 第141回      2016. 3. 28

あれから5年

  桜の開花宣言の後も寒い日が続き、満開までにはまだまだ日にちがかかりそうです。 三寒四温とはいえ、今年のそれは極端すぎます。とにかく体を壊さないようにしましょう。

  今年の3月11日は、涙雨が降っていました。あの日と同じ金曜日で、スタッフと思い出していました。

  前の患者さんを終えて、一息ついているときでした。 大きな揺れが何度もあり、ただならぬ事態を感じました。 窓の外では、向かいのビルが倒れるのではないかとばかりに、大きく振れていました。 歌舞伎座の工事現場では作業員が一斉に飛び出してきました。 揺れがひと段落したところで、院内の状況とライフラインを確認したところ、ガスが止まった以外には大きな損害はありませんでした。 間もなくして、次の予約の患者さんが階段を上がっておいでになりました。 折角来たのだからお願いしますという事で、余震が続く中時々中断しながらも予定通りの診療を終えて帰られました。 その後の患者さんはすべてキャンセルとなり、我々も早めの帰宅を考えたのですが、すべての電車がストップしていたのと、 スタッフも家族と連絡が付き無事が確認できたので、無理して帰ることもあるまいと診療所で一夜を明かすことにしました。

  当時私は、地元の歯科医師会で副会長をしていたこともあり、銀座1丁目にある歯科医師会の事務所まで会員の安否確認のため走って向かいました。 途中街路樹が倒れていたり、ビルの看板がぶら下がっていたりと、道々被害が見られ、警察や消防が対処にあたっていました。 そのときは、東北が大変なことになっている事を知る由もなく、寒さを我慢しながら一晩を過ごしました。 外の道では、一晩中車が渋滞しており、歩いている人達の声も聞こえていました。

  夜が明けて、それぞれの交通情報を調べて帰宅の途につきました。 我が家では地震による被害は、壁紙にひびが入っていたくらいでしたが、義父の部屋は食器棚や本棚が倒れ、足の踏み場のないほどでした。 同じマンションでも部屋の向きによってこんな差があるのかと、驚きました。 幸い義父は、地震の時はデイサービスで家にはおらず、無事でした。 帰宅後、一息ついていたところに自衛隊から電話が入り、災害派遣に出動可能か否か聞かれ、そのまま出動待機命令が下されました。 その時の私の葛藤は、当時のコラム(コラム第81〜83回)でも書いたとおりです。 結果は、そのまま7月が過ぎたころ命令解除となり、後日、当時の北沢防衛大臣からねぎらいの手紙が届きました。 群馬県の榛名で一人暮らしをしていた父は、計画停電に悩まされてはいたものの、気丈に一人暮らしを続けておりました。

  発災後、自分にも何かできることはないかと考えて、歯ブラシの国内生産が殆んど出来なくなったと聞き、 普段お世話になっているアメリカの歯ブラシ会社に大量購入を依頼したところ、無料で提供してくれました。 早速、当時衆議院議員をしていた同級生と中央区に頼んで被災地に届けてもらいました。 その後も中央区からは、歯ブラシの追加支援をしたいとの話があり、仲介させて頂きました。 いつも定期健診の際、皆さんにお渡ししている歯ブラシを作っているのがその会社です。 POH社はその後も支援を申し出てくれましたが、国内の生産工場も再稼働して供給が間に合ってきたので、支援先の報告をして感謝をお伝えしました。

  POH社は20年以上前デンタルショーの会場で見つけた会社で、そこの歯ブラシの形状が気に入り、 父と当時勤務していた歯科衛生士とで購入を決め、以来ずっと提供させて頂いているものです。 日本での代理店販売がなくなってからは、直接やり取りして購入し続けています。 一度も顔を合わせたことが無いメールだけの相手にここまでしてくれたアメリカのこの会社には、今後もそのご恩を忘れることはありません。 東日本大震災は日本に大きな被害をもたらしましたが、私が経験したようなエピソードはきっとたくさんあったことでしょう。 歯ブラシをするたびにこのことを思い出して、国境を越えた助け合いの心に感謝の気持ちでいっぱいになります。


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